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中国との通交

中国との通交は渡来系弥生人に遡ることができる。 近年、DNAの研究が進み、渡来系弥生人の多くは中国大陸の長江流域、山東省付近から来たと言われている。 更に遡ると現在の中国の青海省付近にまで遡ることができるという調査結果がある[11]。

稲作については、弥生米のDNA(SSR多型)分析によって、朝鮮半島には存在しない水稲の品種が確認されており、朝鮮半島経由のルートとは異なる、中国中南部から直接渡来したルートが提唱されている。

また近年、渡来系弥生人のDNAとお酒に弱い人の遺伝子の関連性が調査されている[13]。
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弥生時代の開始についてはかつて中国の春秋戦国時代の混乱と関連付ける考えがあったが、弥生時代の開始年代を繰り上げる説に関連してこれを否定するか、あるいは殷から周への政変に関連付ける考えが検討されるようになった。

中国の史書では、後漢の『論衡』が周代の倭に関する知識を伝え、ついで漢書が前漢代のこととして倭人が多数の国に分かれて住んでおり、使節を送ってくると記している。

『後漢書』(南北朝時代、432年成立)には、57年に倭奴国王が後漢光武帝から金印を授かり、また107年には倭国王帥升(または倭面土國王帥升)が生口を後漢へ献じたことが見える。

三国志の『魏志倭人伝』は、3世紀の倭国の状況を詳しく記し、邪馬台国の卑弥呼女王が統治していたことなどを伝えている。

中国の三国時代の呉と倭国が公的に交渉を行った文献は全くないが、遺物としては呉の年号を記す画文帯神獣鏡が二面存在する。

山梨県西八代郡市川三郷町(旧三珠町)の鳥居原塚古墳出土の赤烏(せきう)元年(238)の紀年銘をもつ。
兵庫県宝塚市安倉古墳(あくらこふん)出土の赤烏七年(244)の紀年銘をもつ。

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2009年05月30日 14:21に投稿されたエントリーのページです。

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