人物評
宇垣は優れた政治的手腕と極めて現実的な思考を持っており、当時の日本の置かれていた国際情勢を理解して無謀な戦争を行うことの愚かさを知っていた軍人の一人であった。しかし、陸軍の実力者であった彼をしても結局は時流に逆らえず、日本は敗戦への道をひた走っていったのである。
一方で、陸軍における二大勢力、薩摩閥と長州閥を巧みに利用し宇垣閥を形成していった。尉官時代には薩摩出身の川上操六の元で地位を上げ、川上の死後は長州出身の田中義一に付き昇進した。その実力ゆえに野心家と目され、警戒感を持つ向きがあったことも事実であり薩摩閥より「蝙蝠のような男」と揶揄された。司馬遼太郎はその著書『歴史を紀行する 8.桃太郎の末裔たちの国[岡山]』において宇垣の処世術を酷評している。しかしながら、尉官時代の宇垣は他人より出世が遅く「鈍垣」とあだ名されるほどであり、処世術が巧みであったとは言えなかった。
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また「聞き置く」など曖昧な表現を相手によっては多用し、それが張鼓峰事件を引き起こしたと言われ、昭和天皇からは「この様な人を総理大臣にしてはならないと思ふ」(「昭和天皇独白録」より)と酷評されていたことが知られている。昭和天皇は三月事件の遠因も宇垣の言い回しが原因ではないかと思っていた節があったようである。
朝鮮総督時代に朝鮮の農村振興と工鉱併進政策が成果を上げ、住民の生活が向上したことから、歴代総督のなかで「朝鮮人のために尽くしてくれた唯一の総督」と高く評価されていた。